下町柚子黄昏記 by @yuzutas0

したまち発・ゆずたそ作・試行錯誤の瓦礫の記録

螺旋を制御する

ポエム第五弾。

どっちつかずの中庸ではなく、極端と極端を行き来させることでバランスを取りましょうという話。

例:「機能軸組織」と「事業軸組織」

例えば。組織運営で「機能軸組織」と「事業軸組織」のどちらにするのかという議論があります。 機能軸組織とはデザイン組織、データ組織、QA組織のようなものです。事業軸組織とはXXXプロダクトチームのようなものです。

マトリクス型組織というのもありますが、メンバーを指導・評価する上司が事業軸もしくは機能軸の片方に寄らざるを得なかったり、360度評価で時間を掛けて丁寧にやっていたりするので、口で言うほど簡単な運用ではありません。 どちらかに軸足を置きつつ、留学制度や社内勉強会でもう片方の弱みを補うような制度設計で工夫しているのが実状でしょう。

では事業軸と機能軸のどちらが良いのでしょうか。 それはビジネスや組織のフェーズ、あるいは市場環境によります。

あるフェーズでは機能軸組織に該当分野のプロフェッショナルを集約することで該当分野の知見を貯めて品質を高めます。 しかし、ずっと機能軸組織だと、事業コミットへの力学が働きにくくなり、価値の創出やニーズへの柔軟な対応ができていないと感じる場面が出てきます。

あるフェーズでは事業軸組織に多様な分野のプロフェッショナルを集結することで事業ニーズに柔軟に対応します。 しかし、ずっと事業軸組織だと、複数の部署で同じようなことをやって、品質・速度・コスト面で無駄を感じる場面が出てきます。

つまり、2つを交互に入れ替えながら、徐々に組織を成長させていくことになるのです。 そこではコンテキストのリセットと再発見が螺旋のように繰り返されるのです。

例:「中央集権」と「現場判断」

例えば。社内標準システムを中央集権的に作るのか、それとも現場判断で作るのか。 現場と言っても人数が増えてきたら、今度はチームごとにツールを分けるのかどうなのか。 ドキュメント管理をそれまで使っていたConfluenceで全て管理するのか、チームによってはScrapboxやGoogleDocsを使うようにするのか。

統一したら使いにくいと言い出す者が現れて分散する。 分散したら混乱を招くと言い出す者が現れて統一する。 ひたすらこの繰り返しです。 徐々に適応したものが生き残ることで、進化していくのです。

ソースコードを共通化するのか分けるのかと同じです。 その都度リファクタリングしながら分離・結合を繰り返してシステム設計を進化させていくのです。

通化の問題については、ある程度までは共通化して、ある程度からは自由にすることになるでしょう。 国が定める国法もあれば、地方公共団体が定める条例もあります。 しかし問題は、その「ある程度」が時代と共に変わっていくということです。

だからこそ「監査」や「選挙」といった形で、定期的に見直しが行われるような破壊・再生のプログラムが設計されるわけです。 その一貫として、事態が共通化に寄れば断片化を求める声が生じ、事態が断片化によれば共通化を求める声が生じるのです。 自己進化可能なシステムが必要だということです。 ソフトウェア開発のツール選定についてであれば、レトロスペクティブのようなセレモニーで、そしてチームがスケールしたらScrum of Scrumsのような横断機会で、会話がなされるわけです。

揺れ動きをハックする

強力な原理・原則はアナロジーによって万物に適用できるものです。 子供の友情も同じです。喧嘩と和解を繰り返して相互理解を深めているのだと、解釈することができます。 バイオリズムも同じです。呼吸も、食事も、睡眠も、発汗も、筋肉痛も。 景気循環や潮の満ち引きや季節が巡るのも同じです。

循環があることで、停滞や腐敗に対して、刺激や新陳代謝になるわけです。 「振り子ではなく螺旋」(by 技術選定の審美眼 / Understanding the Spiral of Technologies - Speaker Deck)という言葉で表現されるように、その循環では少しずつ何かが変わっているはずです。

揺れ動かない組織は、レバレッジの効いていない組織であり、成長を諦めた組織だとも言えます。 組織とはエコシステムの一種であり、動態なのだと思います。

そこで求められるマネジメントとは、Chaosにする(刺激を与える)だけでもなく、Lawにする(秩序をもたらす)だけでもありません。 揺れ動きによって許容外の被害が出ないように制御したり、再びもう一方へ揺れ戻すときに対応できるようにすることもまた重要な役割です。 ルールを統一するけど逸脱したい人は逸脱できる余地を持たせるとか、自由にやれるけどその範囲は限って小さく始めるとか、そういった制御が必要になります。 組織の成長が螺旋であることを踏まえて、現状への静的な最適化ではなく、将来の動態を踏まえて最適化するようにメタ視点からマネジメントするのです。

螺旋を駆け上がる

先日、自分が頑張って整理した組織が、また混乱していくのを見て「なんだかなぁ」と思ってしまいました。 新規参画者の無邪気な提案を受け入れたくない、という気持ちになったのです。 しかし、これで良いのだと理解しました。自分が老害になりつつあることを自覚しました。 新しいフェーズに成長して、さらなる螺旋を駆け上ることを、喜ぶべきだったのです。

もしかしたら自分たちが当時上手くいかなかったことでも、時間が経過して状況が変わって、やってみたら上手くいくかもしれません。 やらせてみてダメだったら、口で説明するよりも早く同じ目線に立ってもらうことができて、むしろ協働しやすくなるかもしれません。 中途半端に時間を稼いだところで、いずれ変化は生じることになります。停滞や硬直化は、腐敗や相対的劣位を招き、変化を促す者が台頭します。 だったら、どんどんやりたいようにやって、良いものは取り入れて、ダメなものは切り戻して、組織自体についてABテストを高速に繰り返したほうが生産的です。 螺旋を駆け上り、時計の針を進めるのです。

もしかしたら抽象度をあげていくと、仏教の六道輪廻転成も同じことを指しているのかもしれません。 先日、奈良の寺院で和尚さんの話を聞いて思ったのですが、輪廻からの解脱とは「時の螺旋」に振り回されずにマネジメントすることなのではないかと。 物事の本質が変わらないのであれば、時代背景や姿形は違えど、論理の行き着く先が同じだったとしても不思議ではないですよね。川は流れていくものですから。 そう考えると、1000年前を生きた人たちの思考や言葉が、巡り巡って自分の考え方に影響を及ぼしたということになります。 同じように、自分のやったこと、たとえそのままの形では残らなかったとしても、螺旋の一部として、道しるべとして、何かが残り、行く末に影響を及ぼすのかもしれません。

なので、過ぎたことに執着せず、変化に対して柔軟に向き合い、同じことの繰り返しと思えるような事柄に対しても前向きに捉え、螺旋が上に登るように適切に制御していきましょう。

枕草子 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

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