下町柚子黄昏記 by @yuzutas0

したまち発・ゆずたそ作・試行錯誤の瓦礫の記録

影響力を行使する

ポエム第四弾。

何かしらの問題が生じた時に、自分の人生を自分でコントロールすることが大切だという話です。 結論は「変えられないこと」は受容して(あるいは距離を置いて)「変えられること」にフォーカスする、ということになります。

言動は選べる

私たちは1人の個人として、周囲の環境から影響を受けるのと同様に、周囲の環境に対して影響力を及ぼすことができます。 例えば「目の前を歩いている人がハンカチを落とした」という視覚情報をインプットしたときに、「拾って声を掛ける」という動作を選ぶこともできますし、「無視する」こともできます。 こうした意思決定の連続で、私たちは大なり小なり周囲に影響力を及ぼしています。 相談してみたら道が開けたり、声を挙げることで課題が打開できたり、感謝の言葉を伝えることで信頼関係が築かれたり、自分の言動によって誰かが動いて物事が変わることはいくらでもあるわけです。

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抽象的な話をすると、システム全体は要素(Node)と関連(Arc)によって構成されます。 1つの要素(=自分)が、Inputの対象を変えたり、Inputに対するOutputを変えたら、システム全体の振る舞いは変わります。 システム思考やら数学やら経済学やらコンピュータサイエンスやら、分野によって説明や用語は違えど、似たようなことが語られているはずです。 理論モデルを数式で構築するというのは、まさにこの関係性を描く取り組みだからです。 様々な分野で同じ考え方がされているということであれば、非常に汎用性の高い原理・原則だと認識して差し支えないでしょう。

変えられないこと

大抵の物事は変えられると思います。 変えられないように見えるのは、存在しないはずの制約を、勝手な思い込みで設けてしまっているからです。 Googleの「10倍で考える」やメルカリの「Go Bold」、リクルートの「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」はそういった制約を取っ払うことで高いパフォーマンスを実現することだと私は解釈しています。

ただ、人生は有限ですので(意図的に)自分では「変えないこと」はあるかもしれません。 影響力の行使対象をコントロールするということです。

変えられること

貴重な時間を投下してまで解決するような課題か。 信用や金銭面でのコストも踏まえて、本当にROIは高いか。 もっともシンプルかつ有益な判断基準は「エドガー・シャインの問い」だと思います。

  • 自分の能力で出来ることか
  • やりたいと思えることか
  • 周囲から求められていることか

これはキャリアデザインのための問いではありますが、日々の意思決定にも当てはまるはずです。 環境問題の標語である「Think Globally, Act Locally(地球規模で考え、足元から行動せよ)」ということだと思います。

逃げることも戦い

そう簡単には変えられないこともあるので、逃げてしまうのも一手です。 相手が強いから逃げるのではなく、自分がROIを勘定した結果の判断として逃げるのです。主体は自分です。 自分のフィルターを通して意思決定して、たとえ何度逃げようが、いつかチャンスは掴んで勝てるように。

ただし、負け癖や逃げ癖が付いてしまわないように、勝つべきところでは勝ち続けるように。 レバレッジを掛けることで道が開けることもあるので、ROIの判断は短絡的にならないように。

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逃げ方を学ぶ

影響力を行使すべきでない物事に対する執着を、どのように捨てたらいいか。

禅やマインドフルネスではメタ認知の重要性を訴えています。 自分が執着しているという事実にまず気付くことが第一歩だというのです。

また、「死の五段階」仮説によると、人は自分がもうすぐ亡くなることを知ると、否認、怒り、取引、抑うつ、受容の段階を経ることになります。 執着している自分の心を葬り去って、新しい考えへとシフトするときにも、同じような心の動きが生じているのではないでしょうか。 であれば、時が解決してくれることを祈りながら、心のままに進むしかないでしょう。

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比較の呪い

執着の典型例が「誰かと自分を比較すること」ではないでしょうか。 比較しても良いことはないですが、社会というのは人を比較しがちな構造ですよね。

何歳で学校に入学・卒業して、身長順に並んだり、テストの点数や足の速さを比べたり。 受験にせよ新卒一括採用にせよ、生まれた年の塊で複数の人間が一括でバッチ処理される仕組みになっています。 受験や就職をしたかと思えば今度は学校内クラスだとか花形部署だとかでまた比較。 転職やら婚活やら住んでいる場所でだって誰かと比較されることもあります。 自分が何かを選ぶのと同じくらい、誰かに自分の何かを選ばれるものです。

冒険しよう

比較の呪いに対して、どうやって受容するか、どうやって逃げるか。 結局のところ狭い世界に閉じこもっているから自分で自分を誰かと比較してしまうわけですよ。 今の時代、飛び級や学び直し、野良研究や週末起業など、多様な選択肢が増えつつあります。

外に目を向けて、掛け算を組み合わせて「この分野だったら自分が1番だ」と思えるもので、自分に対して自分をブランディングして見せてやればいい。

  • (専門の研究者には勝てないけど)数学の趣味コミュニティの中で
  • (他の分野はよく知らないけど)ゼータ関数について
  • (内容自体ではなく)人に紹介するのは

これなら自分が一番だ、とかね。

まずはそこからで良いのではないでしょうか。 勝つ戦いではなく、逃げる戦いについては、なるべく派手に開き直って逃げましょう。

そう思うと「市民」とか「野良」としての動き方はなかなか面白いですよね。あるいはOSSコミッターとかコミュニティ運営とか。 『HUNTER x HUNTER』のハンターや、『鋼の錬金術師』の国家錬金術師のような立場があったら楽しそうだなぁと思ったりもします。 研究者のような、非営利団体のような、ビジネスのような、何とも言えない活動。 境界がどんどん曖昧になっていく昨今だからこそ、そんな冒険者として時流や機会を活かしていきたい。

冒険図鑑―野外で生活するために (Do!図鑑シリーズ)

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