下町柚子黄昏記 by @yuzutas0

したまち発・ゆずたそ作・試行錯誤の瓦礫の記録

心のままに進む

ポエム第二弾です。

生死に関わることや取り返しのつかないことでなければ、心のままに進むということを大事にしたいなぁという話です。 某社の「Follow your heart」(自分への問い掛け)と「お前はどうしたい?」(相手への問い掛け)という言葉、個人的には気に入っています。

レンズを通して物事を見る

人は自分が見たいものだけを見てしまいがちです。 知識や経験や感情というレンズを通して物事を見ているように思います。

知らないことについて背伸びして難しい本を読んだり人の話を聞いても、表面を上滑りするだけで地肉にならないものです。 特にそれが自分のレンズでは未対応の内容だった場合は「頭では分かるが腹落ちしない」ということになりかねません。

レンズをアップデートする

たとえ間違っていたとしても、自分が正しいと思うやり方で、まずは行動してみるのが良いのではないでしょうか。 1度は自分で経験したほうが、結果的に早く学べることもあります。

おそらくはアンチパターンを踏襲することになるでしょう。 多くの人が直感に従って行動して、その結果として陥るパターンだからこそ、アンチパターンと呼ばれるわけです。

アンチパターンを1度踏んで痛い目を見ると、次に同じ話を聞いたときには、実感を持って理解することができるのです。 挑戦して失敗したあとに該当分野の名著を1冊読むと「まさにこれじゃないか!」「本当はこうすべきだったんだ!」という気付きを得ることができます。 そうやって心のレンズをアップデートしていくわけです。

賢者は多くない

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」(ビスマルク

と言いますが、残念ながら100人中99人は愚者なのだと思います。 せいぜい出来ることがあるとすれば、早く行動して、早く失敗して、早く学ぶことです。

行動する前から他人のアドバイスを聞いて上手くやれるほど大抵の人間は賢くないはずです。 よく分からないまま中途半端に言われたことをやって、中途半端な結果になって、中途半端にしか学べていないのではないでしょうか。 「神は細部に宿る」ものですが、よほど優秀な人間でもない限り、心の伴っていない取り組みでは、上手くいくものも上手くいかないでしょう。

yuzutas0.hatenablog.com

誰かに言われて行動するのではなく、いま自分がやるべきだ・やりたい・やったほうがいいと、本心から思えることからしか、人は学べないのではないでしょうか。 どんなに頭を使おうとしても、心のレンズを通さないと物事を見られない以上、最終的には自分の心が命じることには逆らえないのだと思います。

心のままに進み、遠回りすることが、1番の近道なのかもしれません。

「頑張れ、というのはさ」

「もともと、我を張れ、ってところから来ているんだ。我を張り通す。『我を張れ』が変化して、『がんばれ』だ。自分の考えを押し通せ! ってことかもな」

「あ、そういう意味では、頑張れ! っていうのは 『おまえの考えは間違っていないから、そのまま突き進め』という意味合いなのかもしれないな。頑張れ、間違っていないぞ、と」

『あるキング』(伊坂幸太郎)

心と気分は違う

心に従うことは大切ですが、気分に従うのはアンチパターンです。 気分とは、移り変わりの激しいものであり、極めて利己的なものです。 気分に従うだけでは他者を傷つけるだけです。

知恵と経験が足りていないと、自分の心と気分の違いを見極められないかもしれません。 それでも未熟なまま、心なのか気分なのか分からない何かに従うことで、道が開けるのでしょう。 人を傷つけることに対して良心が訴えて、いつかは心と気分の見極め方を学ぶことができるはずだからです。 人間である以上、社会生活の過程で誰かを傷つけて、誰かに傷つけられることは避けられないでしょう。 そうやって心を醸成していくのだと思います。

アルケミスト 夢を旅した少年 (角川文庫)

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