ポエムが溜まっているので少しずつブログに書こうと思います。
今回は「企画」という仕事について。 私は私自身に対して企画屋であってほしいと期待しています。 だからこそ自分自身に対して文句を言いたいと思っています。
企画とは企(くわだ)てを画(えが)くこと
考えてみると企画というのは難しいものです。 アイデアを言うだけではなく、空想を現実にするために、企てを画かなくてはいけません。
斬新なアイデアなんかじゃない
この10年で台頭したサービスをいくつか見てみましょう。
サービス自体は突飛な内容ではありません。 ある意味では当たり前なものだらけです。 10年前の時点で、少なくともアイデアの概要だけなら、どれも類似サービスはありました。
むしろそれでいいのかもしれません。 突飛すぎたら誰も使えないからです。 誰も思いつかなかったアイデアではなく、誰もが思いついた(けど成功に至らなかった)アイデアを成功させるのが、企画の本質なのかもしれません。
「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない。」(ジェームス・W・ヤング)
「誰かがやるはずだった。自分がその誰かになりたかった。 」(カール・ルイス)
「したい人、10,000人。始める人、100人。続ける人、1人。」(中谷彰宏)
じゃあ出来るのか?
そのシンプルなアイデアをいざ実現しようと思ったら大変です。
仮に時計の針を10年前に戻せたとしましょう。 はたして、自分で同じサービスを立ち上げて、偉大な先人たちと同じように成功できるでしょうか。
どうやってたくさんの動画を集めるのか。 どうやって人を巻き込むのか。 どうやって出品してもらうのか。 どうやってその成功を再現するのか。
シンプルなコンセプトを実現して、価値を創出するのは容易なことではありません。 戦略を描き、行動を積み重ね、運を掴み取る。 言葉では簡単に言えますが「じゃあ実際にお前はできたのかよ」ということになります。 本当にできるのなら、10年前にやっているはずです。
もっと解像度を上げる
実際にやるためには、具体的な5W2Hを描き、行動に繋がるように設計することが求められます。 (と書いているこのエントリーが抽象的なのはブーメランですが。)
それっぽい戦略をそれっぽく言うことは誰にでもできるでしょう。 しかし、実際に行動と成果に繋がるレベルまで、プランを描けているでしょうか。
「だから何?」と自分に問い掛けられているでしょうか。 抽象論をいくら検討しても何も進みません。
「ネクストアクションはいつどこで誰が何をすればいいのか?」と自分に問い掛けられているでしょうか。 行動志向を追求できているでしょうか。解像度を上げきれているでしょうか。
「本当にそれでいいのか?」と自分に問い掛けられているでしょうか。 自分で勝手に設けた制約をぶち破れるように、レバレッジを掛けられているでしょうか。
小さなこだわり、大きな仕事
解像度を徹底的に上げて、企画を徹底的に詰める。 その結果、捌くことになる作業の9割9分9厘は、とてつもなく地味なはずです。
その地味な細部をいかにこだわれるかが大事なのだと思います。 取引先の置かれた立場を聞き出すセールスも、1pxにこだわるデザイナーも、メソッド名にこだわるエンジニアも、メール文言を磨き込むカスタマーサポートも、プレスの体裁を整えるマーケッターも、それら全てが揃って初めて価値になります。 切り取られた世界における小さく深いこだわりが連なり、プロダクトを織り成し、顧客体験を形作り、価値の創造に繋がるのです。
コンセプトと戦略を踏まえて、個々の作業の小さなこだわりに反映されていく。 小さなこだわりが予期せぬ成功体験を生み、コンセプトや戦略に反映されていく。 その繰り返しで企画は動的に形作られるのでしょう。
そこまで深く潜り込めているでしょうか。
Deep Dive
深く潜り込むというのは、細部に気付いて改善アクションに移せるということです。 そのためには必要なことが2つあると思っています。
1つ目は習慣です。 日々の生活や仕事で120点を取り続けていれば、新しい企画に携わる時にも120点を取れるでしょう。
2つ目は狂気です。 経験や知識やスキルが不十分であっても、狂ったように熱中すれば、365日24時間アンテナを張り続け、見るもの全てからヒントを得ることができるようになります。
ただ、良い意味でバカにならないと、これら2つを継続することはできません。 学校の文化祭でダンスに打ち込むようなものです。 意味なんてありません。 踊り続けないと、覚めたら終わりです。
「それに何の意味があるのか?」と考えてしまったら、思考の迷路を彷徨い、行動できなくなってしまいます。 やがて「人はいずれ死ぬのになぜ生きるのか」「宇宙はいずれ消えるのになぜ後世に何かを託すのか」という考えに辿り着きます。 最終的には『実存主義とは何か』(サルトル)が主張するように「実存は本質に先立つ」(≒とはいえ生まれてしまったのだから、好きに生きればいいじゃん)という開き直りに至るのでしょう。
「踊らされるな、自ら踊れ」(西きょうじ)
ダンスの振り付けにこだわるように、自分の人生や、担当する仕事や、趣味のプロジェクトや、そういうものの細部にこだわっていきましょう。 始めてみれば、続けてみれば、楽しさやモチベーションは後からついてくるものです。
狂人のすゝめ
そこまで自覚しておきながら、まだ細部に神が宿っていないのであれば、単純に行動が(そして行動を支える狂気が)足りていないのだと思います。
「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり」(『徒然草』)
ということで、まずは1回だけでも、踊り狂ってみましょう。 企画を始めるのに必要なものは多分もう持っていて、1度踊り出したら、すぐに解像度が上がって、足りないところがどんどん見えて、企画を詰めるのに奔走しなければならなくなるはずです。
ゆえに企画屋とは、思考するために行動し、行動するために思考し、継続的に企てを画き続ける者だと心得ました。 めでたしめでたし。
- 作者: ニール・ガブラー,中谷和男
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